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旧約聖書の世界を訪ねる ヨルダンとシリアの旅

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こんにちは。もと海外旅行添乗員&公立高校の英語教諭で、現在は英語を使う仕事で生活をしているゆういち(@lifeasaguide93)です。

 

最近、こつこつと過去の海外添乗の想い出をブログ化しており世界史やら世界地理やらの復習をしていました。今回はヨルダンとシリアのツアーの想い出を記事化します。

 

ヨルダンとシリアは当時とても平和で人々はフレンドリーでとても行き易い観光国でした。古代の歴史が豊富に残っており、旧約聖書の舞台となった数々の両国にあります。シリアの復興と再生が進み、改めて我々が安心して観光できる国に蘇ることを心から祈っています。私も死ぬ前にもう一度訪ねたい国々です。

 

 

1日目 セントレア~アンマン~ペトラ

中部国際空港(セントレア)からエミレーツ航空にてアラブ首長国連邦のドバイ経由でヨルダンの首都アンマンを目指しました。昼頃アンパンに到着。市内レストランで昼食後、午後は一路南へ。ペトラ遺跡を目指します。

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途中マダバに立ち寄り美しいモザイク地図を見学しました。聖ジョージ・ビザンティン教会にある床のモザイクで、地図として現存するものでは最も古いものとして知られています。聖地エルサレムの描写が含まれているのが特徴です。

 

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マダバにてモザイク画を見学し、近郊にあるネポ山へ行きました。ここは旧約聖書のモーセ終焉の地として知られています。山頂からは、聖地の全景と、北にヨルダン川渓谷の一部が展望できます。ヨルダンの地には旧約聖書のモーセの奇跡の舞台となった場所がたくさんあります。

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ネポ山にあるモニュメントです。杖にヘビが絡み付いているように見えます。申命記の最後にいたる章によると、ネポ山は、神がイスラエルの民に与えた約束の地を、ヘブライ人の預言者モーセに眺望させた場所とされています。

 

その後、ペトラまで移動。到着後、ペトラ遺跡すぐ近くのホテルにチェックイン。                                

                                 (ペトラ泊)

 

2日目 ペトラ観光

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早朝、まだ時差ボケも残る中でしたが、気合を入れて起床し、まだ暗いうちからペトラ遺跡へ。目的はペトラ遺跡のハイライトの一つ、宝物殿(エル・カズネ)に朝日が当たる神秘的な光景を見るためです。

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【まずはこんな感じの道を40分歩き、その後シークへ突入します】

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ペトラ遺跡は遺跡の入口からまずは40分、遺跡の入口までの長い道をひたすら歩いていきます。その後、シークと呼ばれる写真のような岩盤の細い通路を約1時間歩きます。良く歩く遺跡ですが、エル・カズネにたどり着いた時の感動は素晴らしいものがあります。

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暗く狭いシークは、場所によりわずか3から4mの幅しかなく、通り抜けるのが大変です。これは砂岩の岩盤の深い亀裂が形成した自然の地質特徴です。まさに天然の要塞として機能していました。狭い渓谷の終わる先に、砂岩の断崖に刻まれたペトラの最も精微な遺跡であるエル・カズネが現れるのです。ワクワクしながら歩きました。

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まったく変わらない景観に飽きてくること、ようやくエル・カズネが見えてきます。ちょうど朝日があたる時間にたどり着きとても美しい景色を見ることができました。エル・カズネは、1世紀初頭に偉大なナバテア人の王の墳墓として造られたものとされ、切り立った岩の壁を削って造られた正面のファサードは幅30m、高さ43mです。

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ペトラはギリシャ語で崖を意味します。ペトラのある地は、自然の要衛で西にガザ、北にダマスカス、紅海も近く、中東での人や物の行き交う地として栄えました。砂漠を移動していたキャラバン隊の中継基地であったとも伝えられています。

 

立地条件の良さのため、紀元前1世紀頃から、古代ナバテア人の有力都市としてさらに栄えました。エル・カズネ到着後、さらに1時間ペトラを見学しました。

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ペトラ遺跡のメイン観光部分を終了しました。しかしまだまだ終わりません。道なき道を歩いていきます。遺跡の奥の岩山を40分から50分登ったところにあるペトラ遺跡最大の建築物エド・ディルを目指します。(さすがにここは希望の方のみ案内。添乗員には不参加という選択肢はなし)

 

朝4時に起床し、約4時間歩いていたためさすがに疲れ気味でしたが、まだ見ぬ巨大遺跡のために頑張ります。

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足が痛くなってきた頃、ようやくエド・ディルに到着!それにしても遺跡まで来る途中の景観がすごかった。日本では絶対危険すぎて立ち入り禁止となるような場所を登っていきます。(くれぐれも足の悪い方は挑戦しないことをおすすめします。)

 

実に不思議な形に風化した奇岩が次々と現れ、登って来た広大なワディ(渓谷)を見下ろすことができました。エド・ディル自体はエル・カズネより大きいものの、装飾的には簡素でした。エル・カズネがこの遺跡のモデルとなったそうです。

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ペトラをたっぷりと見学し午後、疲れて休憩としたいところでしたが、せっかくなのでワディ・ラムへ。ワディ・ラムは砂岩と花崗岩でできた谷で世ロダン最大のワディ(渓谷)です。この荒野を4WDに乗りドライブしました。ここは有名な映画「砂漠のロレンス」のロケ地にも使われています。

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4WDでのワディ・ラムドライブです。ドライバーがとても陽気でサービス精神豊富・・・私達喜ばせようと車のスピードを上げたりわざと凸凹道を運転したりと・・・酔いますので、心配な方は出発前にドライバーにゆっくり運転するよう伝えるべきです。

 

私の車は何もいわなかったため、行きはジェットコースター、帰りは他の車とチキンレースを始めました。参りました・・・ワディ・ラム見学後、ホテルに戻ります。

                                 (ペトラ泊)

3日目 ペトラ~死海~ジェラシュ

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本日はペトラを出発し北上。死海を目指しました。写真のモニュメントは何か?アラビア語なので読めません。ガイドさんに確認すると、ここがちょうど海抜0mとのこと。死海はここから標高を下げていったところにあります。途中休憩をとりながら死海にはちょうどお昼頃到着しました。

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死海到着です。まずは死海ビーチにあるリゾートホテルで昼食をとり午後は死海体験。不思議と浮くんですね。死海の塩分濃度が人間の体内の塩分濃度より高いから浮くとのこと。海に浮きながら新聞を読む写真が定番です。

 

死海体験後、バスで北上し宿泊地ジェラシュへ。到着後、ホテルにチェックイン。

                               (ジェラシュ泊)

4日目 ジェラシュ~ボスラ~ダマスカス

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本日はジェラシュの遺跡見学です。ジェラシュはヨルダン北部の都市でジェラシュ県の県都です。ジェラシュ県の風土は多様で、標高が1,100mを越える高く寒冷な山地から、標高300mほどの肥沃な谷間などがあり、農耕が盛んな地域です。

 

ジェラシュの黄金期はローマ帝国時代で、当時ここはゲラサと呼ばれていました。今では世界中のローマ帝国地方遺跡の中で最も保存状態の良い遺跡の一つとして広く知られています。

 

何世紀もの間、砂に埋もれていましたが、この70年で発掘され復元作業が行われてきたジェラシュは、中東全域で見られる壮麗で格式ばった地方におけるローマ帝国主義をよく表しています。ジェラシュは実はペトラと同じくらい人気の観光地なのですが、日本人にはあまり認知されていないところです。

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ジェラシュ見学後、ヨルダンを出てシリアの街ボスラへ。街で昼食をとりボスラの世界遺産円形競技場を見に行きました。ボスラはナバテア人が造った街で、後にローマの支配下に入り多数の神殿が造られました。

 

ボスラには紀元後2世紀に造られたローマ劇場がほぼ完全な状態で残っています。見学後、シリアの首都ダマスカスへ。到着後、ホテルにチェックイン。

                               (ダマスカス泊)

5日目 ダマスカス市内観光

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この日はシリアの首都ダマスカスの見学です。世界最大級のモスクの一つであるウマイヤドモスクへ。ここは世界遺産「古都ダマスカス」の一部です。

 

もとはキリスト教の洗礼者ヨハネ教会でしたが、7世紀になってダマスカスがムスリムの支配下に入り、10年の歳月を費やして敷地全体がモスクへと改装されました。このため、通常のモスクとは違いローマ建築・ビザンティン建築の様式が色濃くでいています。

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その後、聖アナニア教会へ。サウロ(のちの使徒パウロ)の改宗に立ち会ったキリスト教の司祭アナニアの家とされる建物です。地下の礼拝堂には、パウロの生涯を描いた絵画がありました。写真はアナニアがパウロに説教をしている場面のモニュメントです。

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ダマスカスのスークを見学。とにかく何でも売っている印象。まさにカオスでした。写真はスパイスを売るお店です。見たこともないスパイスがたくさんあり、スパイスの香りが全て混ざり合った独特の匂いが鼻にツンときます。まさにアラビアのバザールという感じです。

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ダマスカスの旧市街です。街の中に古代ローマ時代のアーチが残っています。アラビアンテイストな雰囲気の中にローマ時代の遺跡というのは世界的に見ても珍しいと感じました。旧市街を約2時間散策しました。その後、ホテルに戻ります。

                               (ダマスカス泊)

6日目 ダマスカス~クラック・デ・シュバリエ~ハマー~アレッポ

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この日はバスで北上しアレッポを目指します。途中、シリアに築かれた十字軍時代の代表的な城であるクラック・デ・シュバリエを見学。当時の築城技術の粋を極めたものとして評価されています。1142年から1171年まで、聖ヨハネ騎士団の拠点として使用されました。1時間半かけて散策しました。

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その後、水車で有名なハマーに立ち寄りました。ハマーはシリアの農業および工業の中心地です。ハマー県はシリアで収穫されるジャガイモとピスタチオの半分以上を生産していて、様々な野菜の生産や畜産も発達しているとのこと。北海道人の私としてはとても親近感を感じました。

 

その後、アレッポへ。到着後ホテルにチェックイン。

                                (アレッポ泊)

7日目 アレッポ~パルミラ近郊ベドウィンのテントホテル

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アレッポの見学です。アレッポはシリアの北部にある都市でトルコとの国境に近い街です。ダマスカスに次ぐシリアで第二の都市として知られています。写真は旧市街の真ん中に中世に建てられたアレッポ城です。ここの他にスークを見学しました。

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午後は砂漠と荒野のドライブです。ひたすら砂漠と荒野を走り世界遺産パルミラを目指しました。最初はどんな道を走るのか不安でしたが道路はきちんと舗装されており快適でした。本日はパルミラ近郊の砂漠にてベドウィンのテントホテルに宿泊です。

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写真はベドウィンの伝統料理マンサフです。すごいボリュームでした。肉、ナッツ、野菜がたくさんトッピングされているピラフのような料理でした。

                 (パルミラ近郊:ベドウィンのテントホテル泊)

8日目 パルミラ遺跡観光

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本日から2日間かけてパルミラ遺跡をじっくりと見学します。写真はバール神殿です。もともとはメソポタミアの女神で豊穣の神様だったそうです。レバノンのバールベック神殿でも同じ神様が祀られています。キリスト教以前の時代、この地方では最も一般的な神様だったのでしょう。

 

残念ながらこの神殿はイスラム国が破壊したとの話を聞きました。本当に、なんということをしてくれたのでしょう。一日でも早い再生を願います。

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ベル神殿です。ここはパルミラにおいて崇拝されたセム人の神ベルに捧げられ、パルミラの月神アグリボールと太陽神ヤルヒボールとともに三位神としてパルミラの信仰生活の中心として造られました。パルミラで最も保存状態が良い遺跡とされています。ここもイスラム国が破壊したようです。再生を祈ります。

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ホテルに戻り夕食を食べた後、パルミラ遺跡のライトアップを見に行きました。写真はベル神殿のライトアップです。この遺跡のライトアップが最も印象に残っています。古代遺跡というのは不思議なのもので、光を当てるだけでどうしてこんなに幻想的に見えるのでしょうか。

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パルミラでの宿泊ホテル、ゼノビアホテルです。砂漠の真ん中に位置していますが清潔感のある内装で、バス・トイレ完備です。お湯もしっかり出ます。人間の文明というものはすごいものです。

                        (パルミラ:ゼノビアホテル泊)

9日目 パルミラ遺跡観光

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引き続きパルミラ遺跡内の観光です。博物館に展示しているパルミラの出土品を見学しました。パルミラ遺跡敷地内のレストランで遺跡の絶景を見ながら昼食をとりました。

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夕刻、丘の上に上りパルミラの全景を見学しました。遠目になりましたが遺跡群がゆっくりと夕日に照らされていく姿はとても幻想的でした。その後ホテルに戻ります。

                                (パルミラ泊)

10、11日目 パルミラ~ダマスカス~セントレア

朝パルミラを後にし一路ダマスカスへ。国際線に無事チェックイン。その後帰国となりました。

                                  (機中泊)

 

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